服部 匡志

服部 匡志

はっとり ただし

眼科医

昭和39年生まれ。大阪府出身。京都府立医科大学医学部卒業、京都府立医科大学眼科で研修。その後、各地の民間病院で研鑽を積む。2002年よりベトナムに渡り貧しい人々に治療を行い「ベトナムの赤ひげ先生」と呼ばれる。2022年8月、マグサイサイ賞受賞。

自分が変わるしかない

ベトナムへ

2001年、京都府立医科大学が主催する日本臨床眼科学会に出席しました。アジアなどからの来賓を招いた学会のレセプションで、隣に座ったベトナム人医師から「ベトナムでは多くの人が手術を受けられずに失明している。ぜひあなたの技術でベトナムの患者を救ってほしい」と頼まれました。

そのときまで、ベトナムに行くなど考えたこともなく、どんな国なのか全く知らない状態でした。しかし、その医師の言葉が心を揺さぶったのです。「僕の技術でもっと多くの人を救えるかもしれない」。そう思うと、居ても立ってもいられなくなりました。「人のために生きろ」という父の言葉が脳裏に浮かびました。思えば私は人生の岐路に立ったとき、損得勘定ではなく心を動かす「直観」に従って生きてきました。このまま日本で医師を続けていれば、安定した生活は送れても、心が死んでしまう。

ベトナム行きに母や妻は反対しましたが、短期間ならと条件付きで承諾してもらいました。そして2002年、私は勤めている病院を辞め、ベトナムのハノイに旅立ったのです。37歳のときでした。

行動で伝える

意気込んで来たものの、最初から問題は山積みでした。ボランティアで働く先は、ベトナム国立眼科病院。首都ハノイにありベトナムでは最高峰の眼科専門病院ですが、当時手術機器は古いものばかり。スタッフは社会主義のためかお昼寝はあたりまえ。仕事が終わっていなくても時間がくると平気で休憩に行ってしまいます。私は「行動で伝えるしかない」と思いました。彼らには、「ドクターハットリが何ためにここに来たのか」ということが伝わっていないのかもしれない。ベトナムの人たちを助けに来たのだと理解してもらうためには、自らが動くしかありません。本来なら助手がする手術の準備や後片付け、患者さんの誘導なども引き受け、目の前の人を救おうとする姿を示しました。また、ベトナム語を勉強し、彼らの考え方も理解する努力をしました。すると、1人、また1人と徐々に協力してくれるスタッフが増えてきたのです。私の熱意が伝わると彼らの意識も変わり始め、今では素晴らしい働きをしてくれています。

自分の思い通りにいかないことがあったとしても、他人を変えることはできません。唯一できるのは自分が変わることです。それはどこの職場でも同じことでしょう。

2人で貯めたお金

課題は他にもたくさんありました。手術機器の不足もその一つです。目の手術に必要なレーザー装置がなく困っていたところ、以前お世話になった多根記念眼科病院の先生のご厚意で、装置を提供してくださることになりました。おかげで助かる患者さんが増えましたが、まだ足りない機器があります。国際支援を行う機関などにも打診してみましたが、援助を得ることはできませんでした。悩んだ末に妻に相談すると、「たくさんの人を救うことができるのだったら、使ったらいいよ」と言って、2人で貯めたお金を医療資機材に使うことを許してくれました。妻にしてみれば、言いたいことはあったと思いますが、私の意志を理解し、協力してくれたことに本当に感謝しています。