服部 匡志

服部 匡志

はっとり ただし

眼科医

昭和39年生まれ。大阪府出身。京都府立医科大学医学部卒業、京都府立医科大学眼科で研修。その後、各地の民間病院で研鑽を積む。2002年よりベトナムに渡り貧しい人々に治療を行い「ベトナムの赤ひげ先生」と呼ばれる。2022年8月、マグサイサイ賞受賞。

患者さんを自分の親と思え

「服部塾」の子どもたち

大学3年生のころ、学習塾でアルバイトを始めました。浪人時代の経験を生かして、生徒たちに勉強を教えたいと思ったのです。しかし、この塾が経営難で倒産してしまい、私は行き場がなくなった生徒のために、自分の下宿で塾を開くことにしたのです。集まったのは大学合格を目指す6人の生徒たち。8畳一間の私の部屋に、折り畳みの机や椅子、ホワイトボードを運んで授業をしました。生徒に1時間の講義をするためには、2時間の予習が必要です。真剣に勉強する生徒たちに応えるため、私も精いっぱい努力しました。「夢を諦めてはいけない」と、伝えたかった。生徒たちが志望校に合格すると、自分のことのようにうれしかったです。

進むべき道

医学部の学生は、6年生になると一つの選択を迫られます。どの分野で医師になるのかを決めるのです。私は、父が胃がんだったことから消化器外科を目指していました。眼科は、全く想定していなかったのです。そんなとき、大学病院の眼科の飲み会に参加し、先生に出会いました。眼科の面白さを熱く語ってくれる先生に、「この人なら僕の力を伸ばしてくれるのではないか」という予感がありました。先生からも強く眼科に来るよう誘っていただき、不思議なご縁により私は眼科医への道を歩み始めることになりました。先生は、ああしろ、こうしろとは決して言わない人で、「君はどうしたいんや?」と相手に決めさせました。今でも迷ったときはその声が心の中で響きます。

医師としての心構え

眼科医としてスタートを切った私は、研修医として大阪の眼科病院に務めることになりました。ここでは、先生という素晴らしい先生に出会い、手術の技術はもちろん、患者と向き合う医師としての姿勢や心構えを徹底的に叩き込まれました。真野先生の教えは、「患者さんの顔を見ろ、患者さんを自分の親だと思って治療するように」というものです。ただ眼球という器官を見るのではなく、患者さんその人をしっかり見る。患者さんを第一に考える。その教えは今も私の指針になっています。

昼夜勉強の毎日

手術を始めたばかりのころは、気持ちばかり焦って、よく途中で交代させられました。患者さんのことを思うと、これは当然のことです。私は手術をするたびノートに記録し、指摘されたことやうまくいかなかったことを何度も読み返して反省しました。左手が上手く使えていないと指摘されてからは、左手で箸を持って豆をつかむ訓練をしました。寝ても覚めても勉強の毎日でしたが、成長するためには経験を重ね、地道な努力を重ねていくしかありません。そのうち、真野先生から一人で手術をしていいと言われました。免許皆伝です。

その後は、京都の病院に務め、さらに熊本、福岡で経験を積みました。ハードな毎日でしたが、やる気と情熱を持った仲間に囲まれ、充実していました。そして恩師の木下茂先生の勧めにより静岡の病院で働いていたとき、転機が訪れました。