
おはようございます。
Aさんが道に迷っている視覚障害者の人を手助けしたときのことです。まずはその人に声を掛け、手を引いて、目的地まで一緒に行きました。するとその人は何度も頭を下げて、こう言ったそうです。
「本当にご迷惑を掛けてすみません。ごめんなさい。私みたいな障害者を、気持ち悪いとか迷惑とか、普通の人はそう思うし、助けを求めたら、怒鳴られやりすることもよくあるから……」
本来は目の見えない人、困っている人に手を差し出すことが「普通」であるはずです。しかし、その人にとって、それは「迷惑を掛ける」ことと同じでした。Aさんが黙っていると、また謝ってきたので、今度はAさんがこう伝えました。
「ごめんなさいじゃなくて、それなら『ありがとう』って言ってください」
この人が誰に謝ることなく、生きられる世の中をつくるためには、ほんの少しだけでも、相手を思いやる気持ちをすべての人が持つ必要がある、とAさんは感じたそうです。
社内では、
「バス停で弱視の人の手助けをしたことがあります。その人はバスが来ていたことに気づいていなかったので、『バスが来ていますよ』と声を掛けると、大変戸惑われたあとに、お礼を伝えてくださいました。今考えると、その人は声を掛けられることがあまりなかったので、戸惑われたのかなと思います。相手を思いやり、行動に移すことは頭で考えるより、難しいことではありません。もし必要ないと言われれば、さっと手を引っ込めればいいだけです。普通のことを普通にできる社会をつくっていかなければいけないと思います」
「『障害を持っている人』だから手を差し出さなければいけない、ということはないと思います。しかし『困っている人』には、手を差し出すべきではないでしょうか。人は一人では生きていけません。どんな人であれ、誰かに支えられ、また誰かを支えて生きています。そのことを自覚していれば、困っている人に手を差し出すことが『普通』のことだと分かると思います」
「『情けは人の為ならず』という言葉もありますが、困っている人に手を差し出していれば、いつか自分が困ったときに、誰かが手を差し出してくれると思います。社会は人と人の協力の下、成り立っています。見知らぬ誰かであったとしても、目の前で困っているのであれば、手を差し出すことが大切です。同じ社会を支えあう一員として、全員がより良い人生を歩めるように、協力することも大切なことだと思います」
という意見が出ました。
普通のことを、普通に実行することは、難しいことではありません。相手の立場に立ち、相手が望んでいることを少し考えれば、どのように行動すればいいかは、すぐに分かります。お互いに見知らぬ誰かに支えられているという自覚があれば、誰かを支えることも普通のことだと気づくことができるはずです。普通のことを普通にできる社会をともに築いていきましょう。
今日もみんなで「ついてる! ついてる!」