志茂田 景樹

志茂田 景樹

しもだ かげき

作家 よい子に読み聞かせ隊 隊長

昭和15年静岡県生まれ。1980年、小説『黄色い牙』で第83回直木賞受賞。
99年、「よい子に読み聞かせ隊」を結成、隊長となり全国各地で読み聞かせ活動を行っている。2010年より始めたtwitter では、中学生から大人まで27万人を超えるフォロワーに支持されている。

読み聞かせで新たな地平へ

不要の御札を剥がす

流行作家と言われる状態になって夜ごと銀座、六本木界隈で遊び呆けるようになりましたが、その時期に実は1つの転機が訪れました。自分を解放したいと痛切に思うようになっていたのです。

赤ん坊のときは誰でも無垢の心です。数10年生きて、僕は心にベタベタ不要の御札を貼ってきたことに気づいたのです。傲慢の御札、虚飾の御札、憎悪の御札……、挙げていったらきりがありませんが、やたら貼ってきたから心が重く息苦しい。折角、作家という宮仕えの人から見れば自由な立場になれたのだから、これからは可能な限り不要の御札を剥がしていきたい。そういう思いが強くなった矢先に、ニューヨーク帰りの女性が、向こうの若い女性がよく履いているものだと言って、タイツをお土産にくれました。しばらくためらっていたのですが、何となく気になって履いてみたところ、解放感に包まれました。それを出発点に、僕のファッションは変貌をとげていきました。

さまざまな顔で

周りの目を気にするという御札が剥がれ、自分を貫きたいという気持ちが浮かびあがったのだと思います。週刊B誌が僕のファッションに注目し、グラビアで特集したいから密着取材させてほしいと頼んできました。

そのグラビア特集を見ていちばん強い反応を見せたのが、テレビのバラエティー番組のプロデューサーたちでした。いろんなバラエティー番組にゲスト出演しているうちにフジテレビの「笑っていいとも」からレギュラーにならないかというオファーがきました。

よい子に読み聞かせ隊隊長として

流行作家の顔のほかに、テレビの人気者という顔が加わりました。数年は執筆で駆使した頭脳をバラエティー番組で解放させ、バラエティー番組でいじられ疲れた心を執筆で癒やして、精神的にはとてもバランスが取れて心身共に快調でした。しかし、講演、イベントの出演も多くなり、バランスが崩れて、知らず精神に重圧がかかっていたのでした。ある番組の収録時の休憩時間にトイレで司会の逸見政孝さんと連れション風になりました。

「志茂田さん、疲れませんか?」

その逸見さんの言葉は僕の胸奥深くに突き刺さりました。逸見さんはそれから1年もしないうちに亡くなられましたが、その言葉はずっと僕の胸奥に残っていました。

母の声に背を押されて

1996年10月、僕は小さな出版社を立ち上げ、全国各地の書店でサイン会を繰り広げるようになりました。僕のサイン会には親子の野次馬が群がりました。1998年10月のこと、いつになく子どもの姿が多いサイン会でした。会の冒頭で読み聞かせを行いました。その最中に、幼児だった僕に読み聞かせを行った母の声が蘇りました。天国の母が背中を押してくれたのでしょう。大人子どもを問わず終了後の反応が実によく、何よりも僕自身の心が洗われていました。翌1999年8月、仲間が10人を超えたところで「よい子に読み聞かせ隊」を結成しました。

以来、読み聞かせ活動はたゆまず続き、ごく自然に僕のライフワークになりました。