志茂田 景樹

志茂田 景樹

しもだ かげき

作家 よい子に読み聞かせ隊 隊長

昭和15年静岡県生まれ。1980年、小説『黄色い牙』で第83回直木賞受賞。
99年、「よい子に読み聞かせ隊」を結成、隊長となり全国各地で読み聞かせ活動を行っている。2010年より始めたtwitter では、中学生から大人まで27万人を超えるフォロワーに支持されている。

今は見えないけれど、ここには僕たちの宝が埋まっているんだよ

25歳の転職先で

大学を出て3度目に転職した先は、洗車ブラシメーカーのP製作所でした。そのとき、25歳でした。

ベトナムの内戦にアメリカが本格的に介入して間もなくの頃で、その特需が起きて大手商社の1つのI産業が戦車、装甲車用の洗車ブラシを大量に受注し、P製作所に下請けを依頼してきました。P製作所は急遽、貿易課を新設し、いきなり、そこへ配属された僕は英語が苦手だったにもかかわらず、英文タイプで信用状の下書きを作成するようになりました。

僕の姉が在日米軍軍事顧問団空軍課のセクレタリーをしていることを知った社長によって、僕は買いかぶられたのでした。ベトナム特需による事業拡大を夢見て、何かのときには僕の姉を米軍とのパイプ役に使えると計算を働かせた結果かもしれません。

M子との出会い

同じフロアに経理部のキーパンチャールームがあって、そこでその年の4月に高校新卒で入社したM子が、キーパンチャーとして働いていました。廊下や、階段ですれ違うとき、必ず目が会いました。お互いに好意を抱いていたのだと思います。

I産業に書類を持っていく用事ができた日は、P製作所の集金日でした。当時は経理部員が手分けして取引先に集金に行ったものでした。バスでM子と一緒になり、僕はずっとM子の集金につきあいました。まさか取引先の経理部にカップルで顔を出すわけにもいかず、僕は路上で彼女が集金してくるのを待っていました。

「へえ、320万円の小切手か。こっちは手形、へえ、期間は3カ月か」

僕はものめずらしげに小切手や、手形にキッスしたものです。

18歳の新卒社員に大金の集金をさせられたのは、それだけ、のどかな時代だったせいでしょうか。それとも、高度経済成長も佳境に入り、どこも猫の手も借りたいほど忙しかったせいでしょうか。

大の得意先へ届ける書類を翌日回しにするくらいにデキの悪い社員だった僕は、半年ちょっとでP製作所を辞め、職を転々とする生活に舞い戻りました。その間、M子と四畳半一間のアパートでの同棲生活が始まりました。

公園でボートを漕ぐM子

いつか宝を堀り出そう

次の職が決まるまでは部屋でゴロゴロしていましたから、M子は不安に駆られることが多かったと思います。でも、一緒に外出はよくして、公園で僕を乗せてボートを漕ぐ彼女は活き活きとしていました。

部屋には秋葉原の中古店で買った白黒テレビと小さなちゃぶ台があるだけでした。ある夜、銭湯から連れ立って帰ったM子が部屋に入るなり、立ちすくみました。あまりの侘びしさに胸を突かれたのだと思います。

「今は何にもないけどさ、この畳の下には僕たちの宝が埋まっているんだよ。いつか必ず掘り出してみせる」

僕の言葉にM子はうなずきました。

翌年、僕らは結婚しました。僕28歳、M子20歳でした。