北原 照久

北原 照久

きたはら てるひさ

ブリキのおもちゃ博物館 館長

昭和23年生まれ。東京都中央区京橋出身。ブリキのおもちゃコレクターの第一人者。1986年4月、横浜山手に「ブリキのおもちゃ博物館」を開館。その他、全国各地に博物館や常設のミュージアムがある。テレビ東京系列「開運!なんでも鑑定団」に鑑定士として出演。ラジオ、CM、各地での講演会等でも活躍中。

コレクターは人との縁が大切

懐かしいブリキのおもちゃ

今、僕は「ブリキのおもちゃ博物館」を運営していますが、おもちゃを集めるようになったのは、グラフィックデザイナーの矢野雅幸さんとの出会いがきっかけです。『私の部屋』というインテリア雑誌に、矢野さんの部屋が紹介されていたんです。子どものころに遊んでいたブリキのおもちゃがずらりと並ぶ写真に、ぐっと心をつかまれました。雑誌社に紹介してもらい、会いに行くと、快く部屋を見せてくれました。ドアを開けた瞬間の衝撃は今でも忘れられません。懐かしいブリキのおもちゃが、鈍く光って並んでいました。僕もこんなコレクションがしたい、そう思ったんです。それから、矢野さんは僕のおもちゃコレクションの師匠になりました。この出会いがなかったら、僕はおもちゃを集めていないでしょう。本当に、幸運だと思います。

「不足」が不足している

僕が子どものころは、おもちゃの一つ一つが特別で、大切にしていたものです。

昔はいろんな物が不足していました。だからこそ、自転車が買いたかったら子どもたちは、新聞配達をする、牛乳配達をする。そうやってお小遣いを貯めて貯めて、やっと1台を買うんです。思い入れもあるし、感謝もある。僕は小学5年生のとき、パーカー61という万年筆がどうしても欲しくて、お金を必死で貯めて買いました。今でも大切に持っていますよ。今は物価も安いし、何でも手に入りやすい世の中です。その分、物を大事にしない、すぐ飽きてしまう、という子どもが多いように思います。

おもちゃを集めるきっかけになったグラフィックデザイナーの矢野雅幸さん

今日は始まり

おもちゃを集めるようになってから、僕のコレクションがテレビや雑誌で取り上げられることも増えてきました。それがきっかけで、1982年、渋谷西武百貨店のイベントスペースでコレクション展をやることになったんです。200坪の会場に並んだおもちゃを、連日たくさんの人が見に来てくれました。目を輝かせているお客さんを見て、本当にうれしかったですね。そんな僕に矢野さんが「北原さん、今日が最良の日だと思ってるだろう」と言うから、「そうだね。夢がかなったから」って答えたんです。すると、「いや、北原さん、今日は始まりだよ」って。その言葉どおり、僕はその後、「おもちゃの博物館を作ろう」という決心をして、夢に向かって動き出すことになります。

一歩踏み出す勇気

博物館を作ろうと決めたものの、都心には予算に合う物件がありません。そんなとき、横浜の山手で友人が経営しているお店を訪れて、「いい場所だな」と直感したんです。それから横浜で物件を探して、今の場所が見つかりました。いきなり1500万円の借金です。そのころは実家のスポーツ店で働いており、生活は安定しています。博物館は入場料とショップの売上を見込んでいましたが、成功するかどうかはわかりません。迷ってウジウジしてるとき、妻の母が、「求めよさらば与えられん。叩けよさらば開かれん」という聖書の言葉を贈ってくれました。義母はクリスチャンなんです。言葉には本当に力がありますよ。僕は「やろう!」と、一歩踏み出す勇気が湧いてきたんです。