林 敏之

林 敏之

はやし としゆき

株式会社MARUプロ代表取締役

昭和35年生まれ。徳島市出身。元ラグビー日本代表選手。
徳島県立城北高校から同志社大学、卒業後は神戸製鋼所で、日本を代表するラグビーのロックの選手として活躍。現在はラグビー普及と将来世代育成の活動に取り組み、NPO法人ヒーローズ理事長、株式会社MARUプロの代表、東京エムケイ株式会社取締役、株式会社ヒガシトゥエンティワン顧問などを務める。

命を懸けられる何か

ラグビーとの出合い

私は現在、「感動人生プロデューサー」として、人材育成に取り組む仕事をしています。それはラグビー選手として生きた日々から学んだ「感動こそ力を生む」という考えを生かしたものです。私が体験した感動を伝えられたらと思い、教育の道を志し、感性教育をテーマに活動してきました。ラグビーを通して出会った人たちや、素晴らしい経験を振り返ってみたいと思います。

私がラグビーを始めたのは、13歳のときです。最初はサッカー部に入っていたのですが、あまり自分にはしっくりこなくて、やめてしまったんです。そこでラグビー部に来ないかと誘われたのがきっかけです。中学2年生のときでした。全身を使ってぶつかっていくラグビーが、私の性に合っていたのだと思います。

今思えば、私は全力で打ち込めるものをずっと求めていました。それなのに、そうなれない自分が好きになれず、ずっと葛藤がありました。ラグビーはまさに、私が求めていたものだったのです。私は徳島県に住んでいたのですが、通っていた中学校は県下で唯一ラグビー部がある学校でした。そういうところにも縁があったのだと思います。

命を懸ける

私はその後もラグビーを続け、徳島県立の城北高校に進学しました。人生を変える転機となったのは17歳のときです。高校日本代表の一員に選ばれ、オーストラリアに遠征しました。1年生のとき、チームが四国大会で準優勝したのですが、そのときの活躍を見いだしていただいたのです。

地方の高校から海外の遠征へ。初めてのことばかりです。ここでは忘れられない出会いがありました。高校ラグビーの名門・伏見工業高校(現・京都工学院高校)の山口良治(ルビ:やまぐちよしはる)先生です。有名なラグビーの指導者で、80年代に大人気となった青春ドラマ、『スクール☆ウォーズ』のモデルにもなりました。

オーストラリアでは、桜のマークの付いた日本代表のジャージを着て試合に臨みます。試合前、ロッカールームで山口先生に檄を飛ばされ、日本で応援してくれている人たちを思い感動の涙を流しました。そして仲間たちとグラウンドに飛び出し無我夢中で戦ったのです。山口先生には、「命を懸ける」熱いラグビーを教えてもらいました。

17歳で高校日本代表としてオーストラリアへ

力は使命の観より発す

山口先生は試合後、「外国人に通用していたのはお前だけだ。俺たちの後を継いでくれよ。青春時代に一つのことをやるのは素晴らしいことだぞ」と言われました。その言葉で、その後の人生もラグビーをやっていくぞ、という決心をしました。

山口先生に教えてもらった言葉に、「力は使命の観より発す」というものがあります。人間、何かに対して最高の意味や価値を感じることができれば、「そのためにならば死んでもいい」と思えます。そして、そのことが、自分のなかから限界を超えた力を引き出してくれるということです。意味や価値は、人が決めた基準ではなく、自分が心から感じられる最高のものでないといけません。それをいかに見つけて感じることができるかが、人生において大切なことだと思います。