
おはようございます。
自分を敬ってくれる部下や後輩はかわいいものです。逆に、自分のことを蔑ろにしている部下や後輩はどうでしょうか。鎌倉時代に活躍した北条重時は、このような言葉を残しています。
「自分を敬う部下がいるならば、その者以上に敬ってやるといいだろう。また、自分を敬わぬ者だからといって、敬ってやる心を捨てるのはよくない。人の心というものは、本心は誰しも変わらぬものだから、自分が敬って人から敬われぬようなことがあっても、恩を仇で報いる憐れむべき輩と考えて、一層それを敬ってやるといいだろう」
たとえ自分を蔑ろにされたとしても、その気持ちすらも慮り、相手に敬意を払いましょう。
社内では、
「自分を敬わないからといって、相手を見下げてはいけないと思います。心からその人の成長を願い、敬意をもって接することができる人こそ、敬われるべき人間だと感じました」
「私は、自分を敬ってくれない相手に対して、敬意を払うことはなかなかできません。しかし、なぜ自分は敬われないのか、蔑ろにされるのかという原因を考え、反省すべき点は反省し、少しでも敬われる対象になれるよう努力したいです」
「人は好意に対しては好意で返しますが、悪意に対しては悪意で返してしまいがちです。マザーテレサは、『自分に同意してくれない人にも愛情を注ぎなさい』という考えで人と接していたと聞いたことがあります。少しでもその考え方に近づけるよう、自らを磨き律していこうと思います」
という意見が出ました。
自分のことを蔑ろにする相手を敬うことは、とても難しいことです。しかし、あえてそこでその相手に敬意を払ってみましょう。そうすれば、自らの振る舞いはよりレベルの高いものとなり、心の底から相手のことを思いやれる器の大きな人に成長できるはずです。まずは自分自身がプラスの習慣を身に付け、それを周囲に広げていきましょう。
今日もみんなで「ついてる!ついてる!」