自らを深く信じた若き文学者 樋口一葉 (1872~1896年)

 年末発行される予定の新札に採用された樋口一葉。新渡戸稲造に代わって、女流文学者一葉が、五千円札に登場、私たちにとって身近な存在になっています。二十四歳で生涯を閉じた一葉でしたが、鮮烈で清新な作品を残しています。

 父則義、母たきは、ともに甲斐国( 山梨県) 出身の農民でしたが、幕末の一八五八年、江戸へ出ます。一八六七年には待望の士分を手に入れます。けれどもこの年、徳川体制は崩壊、一葉の両親は絶望の淵に追いやられます。

 維新後の当時、則義は東京府庁に勤める役人となり、同時に金融、不動産業にも従事し、一葉の幼年時代は、経済的にも余裕がありました。一葉は私立青海学校小学高等科第四級を修了し、後、十四歳のころ、中島歌子の歌嬰「萩の舎」へ弟子入りしています。そこで、和歌、書道、古典を学んでいます。一葉は「萩の舎」で、上流階級の女性たちにまじり、めきめき和歌の実力をつけていきます。

 そんな一葉も十五歳のときには長兄を亡くし、十七歳のときには父を相次いで亡くしています。後に残されたのが、五十七歳の母、十五歳の妹と一葉と、女性ばかり三人になり、一葉は、十七歳にして、女戸主になっています。働き手を失った樋口一家には、貧困がつのっていきます。

 十九歳になった一葉は、東京朝日新聞むからいとうすいの小説記者、半井桃水に入門、小説家として立とうとします。一葉は必死で書きましたが、すぐにお金になるはずもなく、貧困は続いています。また「萩の舎」での醜聞が原因で、半井桃水と絶交し、小説も売れない二業は、商売を思い立ち、雑貨屋を始めます。

 早朝、雑貨屋の買いだしが終わると、一葉は上野図書館へ行って、小説を書くための勉強をし、読書に励んでいます。一葉の書く小説は、最初、桃水の影響がありましたが、やがて桃水からはなれて、自ら努力して、新境地を開拓していきます。

 「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」が一葉の三部作ですが、「たけくらべ」はとくに傑作とされています。作者が移り住んしたやり山うせんじだ下谷竜泉寺町( 台東区竜泉) 付近の子どもの生活が描かれ、吉原という遊郭を前にひかえた環境にあって、思春期を迎える少年、少女たちの微妙な心理を表しています。一菜、二十三歳のときの発表です。二十三歳くらいから没年までを一葉「奇蹟の一年」といわれ、先の「たけくらべ」の完成、「ゆく雲」「にごりえ」「十三夜」「わかれ道」を発表。

 これらは封佳的世界の残る時代を生きる女性の悲しみを訴え、いまなお読者をひきつける名作です。感動を呼ぶのは、一葉が実感の上に立って表現した結果、悲哀の文学になっているからです。

 新五下円札をずにして、一葉の生きた明治時代に思いをはせ、古風ではありながら、見事な美しさをもtu 文体の樋口一葉作品を、じっくり、ひもといてみてはいかがでしょうか。

【樋口一葉 ひぐちいちよう】 天平宝字二~弘仁二年 一八七二~一八九六年
明治時代の小説家、歌人, 本名奈津( 夏子)。歌塾「萩の舎」では、下級官吏の娘であった一葉は、片身の狭い思いをしたが、早くから歌の才能を示し、姉弟子の田辺( 三宅) 花園とならんで、同門の才媛と称された- 小説家としてだけでなく、四千首に近い和歌、また十五歳から晩年までの「日記」は、私小説風で、きわめて価値が高いa 文壇で評価が集まったころ、結核により没した。 惜しまれるのは、二十四歳という若さで夫折したことで天折したことである。

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