夏井 いつき

夏井 いつき

なつい いつき

俳人

昭和32年生まれ。愛媛県松山市在住。中学校国語教諭の後、俳人へ転身。「第8回俳壇賞」受賞。俳句集団「いつき組」組長。創作活動に加え、俳句の授業〈句会ライブ〉、「俳句甲子園」の創設にも携わるなど幅広く活動中。TBS系「プレバト!!」俳句コーナー出演などテレビ・ラジオでも活躍。著書多数。

俳人になります

俳句との出合い

教員採用試験を受けた私は、幸いにも採用が決まり、最初は松山市の中学校に、その後は愛南町の中学校に勤めました。

俳句との出合いは、教員になったその年のことです。先生同士の飲み会で、幹事を任されたのがきっかけでした。席を決めるくじを作るとき、ちょっとした思いつきで、番号の代わりに俳句を入れてみたのです。くじを引くと、「この俳句が書いてある席にどうぞ」というわけです。最初は歳時記から季語を選んでいましたが、評判がよかったのでもう少しウケを狙うため、内輪ネタを織り込んだ句を席の数だけ作るようになりました。

「俳句を作る」というと、難しく感じる人も多いかもしれませんが、私の第一歩は「くじを作る」という遊び半分のものでした。今思えば、身近なところから始められたのは、とてもよかったと思います。アイデア次第で、挑戦するハードルは低くなるのです。

俳句は、「文学」というより「雑学」の極みのようなものだと思います。雑学と仲良くなっていくつもりで、俳句と出合い、取り組んでほしいですね。

俳人になります

教員生活はとても充実していましたが、8年間勤めた後、家庭の事情で辞めることになります。現場からは強く引き止められました。

当時私が勤めていた中学校の校長は、やりたいことを若手にどんどん挑戦させてくれる熱意のある人でした。

私も、登校拒否の子どもと真剣に向き合っていたときでしたので、続けたいという気持ちもありましたが、いろんな事情から考えて、辞めるしかない状況だったのです。

「辞めて俳人になります」と校長に伝えたのは、自分を納得させる理由が欲しかったからかもしれません。実際には、俳句の総合誌に勝手に投稿していたくらいで、句会にすら参加したこともありませんでした。

「俳人」と聞いた校長は、頭に「廃人」の文字しか思い浮かばなかったらしく、「ふざけるな」と叱責されました。それでも、「何十年かしたら、あのとき辞めてよかったと言ってもらえるはずですから」と言って、辞表を置いてきたのです。

子育て真っ最中のころ

独学でのスタート

もちろん、それで道が開けるわけもありません。細々とではありますが「真剣に独学を始めた」というのが、俳人としてのスタートでした。

それでも俳句の都である松山市に転居した後は、少しずつ句会に参加するようになりました。

当時、30歳という若さで俳句をしている人は松山市でも珍しかったようです。しばらく続けていると、「愛媛新聞の小さなコラムを書いてみませんか」とか、「愛媛新聞の若者向けカルチャースクールの講師をやってみませんか」といった声が掛かるようになってきました。

夏井いつき 自選俳句

元日の喉につめたきミルクかな