
夏井 いつき
なつい いつき
俳人
昭和32年生まれ。愛媛県松山市在住。中学校国語教諭の後、俳人へ転身。「第8回俳壇賞」受賞。俳句集団「いつき組」組長。創作活動に加え、俳句の授業〈句会ライブ〉、「俳句甲子園」の創設にも携わるなど幅広く活動中。TBS系「プレバト!!」俳句コーナー出演などテレビ・ラジオでも活躍。著書多数。
「教える仕事」の喜びを知る
阿弥陀ヶ峰の麓に
高校時代の私は一匹狼で、友だちとつるむことは少なく、好きなように伸び伸びと過ごしました。成績は良いほうではなかったのですが、国語だけは得意でした。大学は私立の文系を受けるとだけ決め、その先どんな道に進むのかは全く想像もしていませんでした。そんなある日、何気なく見ていた大学のパンフレットに書いてあったキャッチコピーが目に飛び込んできたのです。
「阿弥陀ヶ峰の麓に……」。『枕草子』が好きだった私は、十二段に出てくる京都の阿弥陀ヶ峰のことだとすぐにわかりました。美しい山について書いた、「峰は、ゆづるはの峰、阿弥陀の峰、弥高の峰」というくだりです。
「京都には、枕草子の世界がまだ地名として残っているのか」と感じ入って、担任の先生に「ここへ行きます!」と宣言しました。それが京都女子大学だったのです。
当時の京都女子大学は、国文科は国語が、英文科は英語がずば抜けてできる人を採用しようと試みている時期だったようです。その極端な配点のおかげで、「国語だけ」得意だった私は先生の予想を裏切って見事合格。「合格しました」と学校へ報告に行っても、「本当のことを言え」と、信じてもらえなかったものです。
故郷に帰りたい
京都での大学生活では、勉強の傍ら、バレーボールに明け暮れました。国語も好きですが、運動も好きだったのです。試合や練習漬けの毎日でしたが、それでも3回生が終わるころになると就職について考え始めます。「言葉に関する仕事ができればいいな」という漠然とした希望はありましたが、私の中で一番大きかったのは「故郷に帰りたい」という思いでした。窮屈なこともあったけど、やっぱり生まれた土地が好きだったのです。出版社や編集プロダクションを受けるなら、故郷から離れるしかありません。そこで思い付いたのが教師になることでした。教職の単位を取り始めた私は、4回生のとき、母校の中学校で教育実習に臨むことになります。

教員になるしかない!
教育実習は、素晴らしい体験でした。生徒たちとの触れ合いはもちろんですが、何より私の心を動かしたのは、一緒に働く先生たちのお人柄や教育に対する姿勢でした。「国文科の若い学生が教えに来る」と聞くと、先生方が私の授業を見に来て、「そんなふうにやるんだ」と、感心してくださるんです。当時、母校には国語の教師がいませんでした。そのため、国語の授業は数学や英語、技術家庭の先生が兼務していたのです。「国語を教えるというのは本当に難しいんだよね」と、私よりうんと年上の先生が、真剣に話を聞いてくれるのには、本当に感動しました。学びに年齢は関係ないと教えてくださった素敵な方々です。思えばこの経験が、幅広い年齢を対象にした、今の俳句活動にもつながっているのかもしれません。実習を終えた私は、「教員になるしかない!」という強い思いに駆られていました。
夏井いつき 自選俳句
ふくろうに聞け快楽のことならば