夏井 いつき

夏井 いつき

なつい いつき

俳人

昭和32年生まれ。愛媛県松山市在住。中学校国語教諭の後、俳人へ転身。「第8回俳壇賞」受賞。俳句集団「いつき組」組長。創作活動に加え、俳句の授業〈句会ライブ〉、「俳句甲子園」の創設にも携わるなど幅広く活動中。TBS系「プレバト!!」俳句コーナー出演などテレビ・ラジオでも活躍。著書多数。

故郷の思い出

本が好きな優等生

私が生まれたのは愛媛県内海村(現・愛南町)という、海沿いの自然豊かな場所です。家の後ろには段々畑、前には海が広がっていました。小学生のころは、父と一緒に伝馬船を漕いで、鯛を釣りにいったものです。その村がなくなるとき、私は記念のポストカード俳句集をつくらせていただきました。その取材で久しぶりに伝馬船に乗りましたが、周囲が船酔いに悩まされるなか、私は平気で釣りをしていました。何年たっても体が覚えているものだなあと思ったものです。

実家は明治時代から郵便局を営んでいたので、昔から私も妹も「局長さんのお孫さん」とか「局長さんの娘さん」と呼ばれていました。狭い土地なので、保育園から中学校を卒業するまで同級生はずっと一緒。成績順位も変わりません。私は「優等生」で通していました。

運動も得意でしたが、読書はもっと好きでした。父は、そのころの田舎には珍しいインテリで、子どもたちに本を読ませたいという思いがあったのでしょう。本はたくさん買い与えてもらいました。なかでも、妹と奪い合うように読んだのが、月に1度発売される『少年少女世界文学全集』です。いろいろな物語を読みましたが、『最後の授業』というフランスの物語を特によく覚えています。それには理由があって、後に受けた教員採用試験で、この物語の一部から出題された問題があったのです。試験後、父に「『少年少女世界文学全集』に助けられたよ」と話した覚えがあります。

父について

父は戦争時代、予科練の練習生でした。パイロットとして出征するはずでしたが、その機会はないまま戦争が終わり、故郷で家業を継いだのです。エンジニアを夢見たという父にとって、郵便局は好きな仕事だったわけではないと思いますが、郵便局も戦後という時代に応じた変化が必要だと思ったのでしょう。自分が勉強してきた知識や経験で、地域に貢献したいと考えていたと思います。

父はギターを買ってきて、青年団でバンドをつくって演奏したり、私が生まれた瞬間から写真を撮って自作の暗室で現像したり、教養豊かな人でした。私にとって自慢の父だったのです。

高校時代の友人たちと

広くなった空

幼いころから周囲に「優等生」と決めつけられ、閉塞感を感じていた私に最初の転機が訪れたのは、高校進学のときです。宇和島東高校に合格した私は、初めて新しい世界に飛び出すことになりました。とはいえ、楽ではありません。バスで往復4時間の通学です。真っ暗なうちからバスに乗って、帰りのバスも1本きり。グルグル回りながら峠を越えるため、通い始めて2週間ぐらいはバスに酔って、勉強どころではありませんでした。進学校だったこともあり、最初から授業はどんどんと進んでいきます。私はすっかり、出遅れてしまいました。あそこで劣等生になったと確信しています。

しかしそれでも私は楽しかったのです。高校に入ると「やっと知っている人が誰もいないところに来られた」という解放感がありました。狭い人間関係から抜け出して、「もう優等生はやめた」と思うと、空が広くなった気がしました。

夏井いつき 自選俳句

月はいま濡れたる龍の匂ひせり