石森 秀三

加点評価とフロンティア精神

 学者が定職に就けるチャンスは少ない。私が初めて定職に就くことができたのは一九七五年のことで、二十九歳の時であった。大阪府吹田市千里の万博記念公園内に新設された国立民族学博物館(以下、民博)研究部助手に運良く採用された。民博は、世界の諸民族の社会と文化に関する研究を行い、展示などをとおして、文化多様性を明らかにする研究機関であった。初代館長は梅棹忠夫先生で、のちに文化勲章を受章された大学者である。

 私は甲南大学経済学部の二年生のときに梅棹先生に初めて会った。当時、梅棹先生は京都大学人文科学研究所助教授をしておられ、京大人類学研究会を主宰しておられた。私は運良く研究会のメン
バーに加えていただき、先生に出会うことができた。私は梅棹先生から数多くのことを学んだが、そのうちの一つは「加点評価」ということであった。

 現代日本では「減点評価」が一般的だ。要するに全員に民主的に百点満点を与えてから、それぞれの能力に応じて減点をしていく。そのため、国立大学を頂点とする学歴偏重主義の学界では、私のような私立大学出身者はハンディを背負わされる。日本の学界で学者を目指すうえで、甲南大出身という学歴は減点評価の対象になるが、加点評価の対象にはならない。

 ところが梅棹先生は人間の能力を百点止まりで考える人ではなかった。甲南大出身者はほとんどがビジネス界に就職して、それぞれなりに能力を発揮し活躍している。そういう中で私は学者の道を目指した。そのことを梅棹先生は加点評価してくれた。甲南大出身者のほとんどがビジネス界に向かっていく中で、将来の見通しもなく、学界に身を置こうとした私のことを「甲南にも面白い人聞がでてきた」と加点評価してくれた。

 もちろん、学界は甘い世界ではないので、一定の基準に見合うだけの業績を挙げなければ生きていくことができない。でも学生時代に梅悼先生のような日本を代表する偉大な恩師に恵まれなければ、そもそも学界への入り口にすらたどり着けなかったはずである。

 人間をそれぞれの能力に応じて減点評価するのは比較的簡単だが、人間を加点評価するのは容易ではない。なぜならば、評価する側に相当の度量の大きさや人格の高さや学識・見識の豊かさが必要だからである。人間の運命はその人の持つ能力だけで決まるものではない。駆け出し時代に素晴らしい上司や恩師に恵まれるかどうか、というファクターも重要だ。

 梅棹先生という偉大な学者の御蔭で民族学者として幸運なスタートをさることができた私ではあったが、四十歳を手前にして、民族学から観光学へと研究領域をシフトさせた。私はミクロネシア地域の研究を行なっていたが、一九八〇年代に観光開発が進展したことによってさまざまな課題が生じていた。

 私は「学者になるべくして学者になった人間ではない」ことを自覚していたので、少しでも「世のため人のため」になることを心がけないと社会に対して申し訳ないと思い続けてきた。その結果として、民族学よりも観光学の方が社会貢献ができると判断をして、四〇歳になる手前で新しい世界への転進を試みた。

 幸い、私が観光学に転進してから観光がグローバルな課題になり、重要性を増していった。二〇〇三年には当時の小泉首相が「観光立国」を提唱し、観光立国懇談会を立ち上げた。私も委員に選ばれたので何度も首相官邸に出向いて、観光立国政策の方向性について提言を行なった。

 日本では長らく「観光」という課題は軽んじられてきた。例えば日本では二〇〇四年三月をもって国立大学が消滅し、法人化された。法人化以前には百近い国立大学が存在したが、どこにも観光学部はもちろんのこと、観光学科も観光学コースも観光学講座も設置されていなかった。要するに日本の国立大学は制度的に「観光学」を無視してきた。

 北海道大学は二〇〇六年四月に観光学高等研究センターの創設を決定し、私を初代のセンター長に任じてくれた。私はすでに還暦を迎えていたが、「熟年よ、大志を抱け」の心境で北大に赴任し、二〇〇七年四月には大学院観光創造専攻を新設して人材育成に励んでいる。人生はいくつになってもフロンティア精神が重要であることを実感している。

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