永井 一郎

繊細でいて、大胆でなければ

集中してやるべきことをやる

 声の仕事を始めて55年ほどになります。昔はテレビ局で番組を作っていましたが、今、民放の番組はほとんど下誇け化され、街の貸スタジオで作られるようになっています。2日後に予定されている仕事のスタジオは、今回、初めて行くスタジオです。ですから、スタジオの録音技術者も初対面です。番組を作る下請け会社も初めてで、スタッフすべて初めての方たちばかりです。

 いつもの通りに挨拶し、仕事内容の説明を受け、台本の下読みをし、テストをやって、本番に臨む。仕事のやり方も気持ちも、駆け出し時代と全く変わりありません。外画(外国映画)の吹き替えであれ、アニメであれ、ナレーションものであれ、そのときそのとき集中して、やるべきことをやる。それ以外、何もありません。

生き延びるために成功する

 私たち俳優や声優という仕事は自由業です。しかし、今日から俳優です、と宣言しても、仕事があるわけがありません。マネージャーやってを頼り、仕事を広げていきます。駆け出し時代は、使える人聞かどうか、相手の方が私を探っていたのでしょう。常に全力を尽くして、少しずつ少しずつ信頼を獲得していく。それ以外にないのです。一度失敗したら、当分、使ってもらえない。恐れて萎縮したら、見透かされる。ずうずうしくても、駄目なんです。繊細でいて、大胆でなければならない。生き延びるためには、毎日確実に成功していく以外ありません。

 一定収入が保証されている給料生活者には、理解できない心境だと思います。

 私が新劇の世界に入ったところ、新劇は食える世界ではありませんでした。何とかアルバイトで食いつないでいければ、それで良いと思っていました。外画の吹き替えもアルバイトのつもりでした。声優になるなんて夢にも思わなかった。というより、声優なんて仕事はできたばかりで、まだ「声優」という言葉さえなかった時代です。

 新劇俳優になれなかったから、不運だったと言うべきか。それとも、今をときめく声優になれたのだから、運が良かったと言うべきか……。

スタートは『ローハイド』

 声の仕事を始めてから、4年目のある日、やっと仕事が入りました。『ローハイド』(※)というアメリカのテレビ映画の吹き替えで、役は「御者1」。「やぁ!やぁ!」の一言でおしまい。「来週も出てるんだけど、時間、空いてるかい?」と言われました。忙しいわけがありません。次の週も行きました。「やぁ!やぁ! やぁ!」でおしまい。

 これを1カ月ほど続けていたら「レギュラーみたい。名前も付いたよ。スケジュール押さえといて」と言われました。

 これが『ローハイド』に登場する老コック、ウィッシュボーンの吹き替えの始まりでした。番組が大当たりし、ウィッシユボーンにも人気が出て、私は、声優としての仕事が増えていきました。

 もし2回目のとき、私の時間が空いていなかったなら、あの吹き替えは、別の人がやっていたことでしょう。

 そうしたら、『サザエさん』の波平役もなかったということです。その『サザエさん』が叫年も続いているのですから、運が良かったと言うほかありません。

波平の感覚を忘れずに

 誠実で一生懸命なら

 自然と運も向いてきます。駆け出し時代、決してあせりませんでした。お金が欲しいとも思いませんでした。それが良かったのです。

 私は今も、電車やパスで仕事場に向かいます。車はやめましたし、タクシーにもめったに乗りません。波平の庶民性を忘れないためです。今でも、駆け出し時代と同じ生活です。

 駆け出し時代と違うところがあるとすれば、少しは信頼されるようになった、ということくらいでしょうか。

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