桂 右団治

「人情」を受け継ぐ女性真打ち

すべての仕事が修行

 落語家は1人でやっていかなければならない職業だ。だから一人前になるまで、「前座」「二つ目」「真打ち」と段階を踏んで、修業を積んでいく必要がある。前座時代は、自分の名前で商売することなど、到底できない。

 私も当時は、師匠や兄弟子の手伝いをしながら、いろいろなことを覚えていった。寄席に呼ばれると、進行管理や、出ばやしの太鼓、根多(演題)帳つけ、着替えの手伝い、着物の片付けなど、さまざまな仕事をこなしながら、同時に落語もする。休む暇などなかった。普段は寄席で行われるが、それ以外の会場では、あらゆる状況に対応しなければならない。それも大切な修業だった。

おかみさんの心づかい

 私にも、ようやく前座の仕事が増えてきたころ『牛込亭(うしごめてい)』という落語会に呼んでいただいた。落語芸術協会の初代会長、6代目春風亭柳橋師匠の自宅が会場という由緒ある会だ。師匠は柳橋先生と呼ばれ、名実ともに落語芸術協会の中心人物であった。

 そこでは、おかみさん自ら出ばやしを弾いてくださったこともあり、出演する先輩たちも恐縮して出番を待っていたものだ。柳橋先生の大きな写真を背に高座に上がったとき、「この伝統に比べると、自分の歴史はなんて浅いのだろう」と痛感したことは、今でも覚えている。

 落語会のあとの食事でのことだ。おかみさんが私の着物を見て「あれ、あれ」と言う。何かと思って視線の先を見ると、私の着物の膝が薄くなっていた。前座は膝をつくことが多いので、抜けてしまうのだ。「お父さんのが合うんじゃないかしら」そう言いながら出してきてくださったのは、何と柳橋先生の着物。それは驚くほど私にぴったりだった。

着物に込められた思い

 あれから15年、私は修行を重ねて真打ちになった。おかみさんは他界され、もう『牛込亭』も行われていない。しかしある日、柳橋先生のご家族から一門の師匠を通して連絡が入った。それは「自宅の離れを取り壊すので、着物を差し上げたい」というのだ。着物をいただけることはもちろん、私に先生のものがぴったりだということを、覚えていてくださったことに驚いた。

 お宅に伺うと、出てきた女性が「私のこと覚えてます?」とにっこりと笑った。「あっ! あのときの食事会にいた女の子だ」。とても素敵な女性に成長した彼女が、着物のことを覚えていてくれたのだろうか? 私はうれしくなった。

 離れに入ると、当時のままの柳橋先生の大きな写真が迎えてくれた。出された着物を見つめているうちに、私は胸がいっぱいになった。私が学生のころ、毎日のように聞いていた落語は、私の師匠である桂文治と、そして柳橋先生のものだった。その着物には「後進に日本の伝統を伝えたい」という先生の思いが込められているような気がした。

 帰宅してさっそく袖を通してみると、あのころと同じでぴったりだ。恐れ多い気持ちはあるが、ただ置いておくのではなく、実際に着させていただこう。私はそう決心した。

 この着物にふさわしい落語家になってやる。そしていつか私も、着物とともに伝統を伝えていきたい。駆け出しのころ、おかみさんが私にかけてくださった心づかい、そして先生の着物に込められた後進への思いを、今度は私が伝えていかなければならない。

 簡単なことではないのはわかっている。日々の修行を積み重ね、何年もかかって、ようやく結果が見えるかどうかの世界なのだ。これからも男ばかりの落語界で、女性真打ちとして、今も昔も変わらない「人情」を伝えていきたい。時代の変化とともに、技術の進歩は目覚ましい。しかし、伝統を後世に伝え、育てていくのは「人情」だと信じているから……。

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