十川 照延

素直な心で実行し、師に沿って学ぶ

 私は旧制大学の最後の卒業生として昭和二十五年十二月に卒業いたしました。当時、他社に勤めたいという気持ちもありましたが、昭和二十六年一月に父が経営していた大阪市内にある合名会社十川ゴム製造所(現・欄十川ゴム)に入社いたしました。

 入社後三年間工場に入り、製造現場で物造りの基本をじっくり勉強する機会を得ました。そのことが後の私にとっては大きな財産となりました。その後昭和三十二年一月に東京支店に支店長として転勤となり、営業の仕事を経験いたしました。当時の東京支店の社員は十五名、私より年上の社員の方が六名もおり、営業活動での苦労はもちろん社内での気配りにも神経をつかう日々でありました。

 そして昭和三十七年十一月に会社において、総評化学同盟十川ゴム支部という労働組合が結成され、組合から様々な要求が提出されるようになりました。社長はこれに対処するために私に「至急本社に帰るように」という命令を出し、東京支店での六年十カ月にわたった勤務を終え、本社での勤務につきました。本社では組合対策の責任者(チーフ)として組合交渉にあたりました。

 その当時団体交渉では、常に上部団体から一名又は二名の人聞が出席し、組合を代表して活発な意見と要求を会社側に提出したため、互いに激しい論争となりました。当時私は三十七歳で営業部長でありましたが役員ではなかったため、組合から「役員でないのになぜ団体交渉のトップとして出てくるのか」と言われました。これに対し「私は社長から全権を委譲されている」と答え、上部団体の人間とも対等の団体交渉をおこなっておりました。

 その当時の労働争議の一コマを申し上げれば、昭和四十年に会社は組合員四名を懲戒解雇としたため、労働組合から不当労働行為であるとして地方労働委員会に提訴されました。その後約二年六カ月に及ぶ法廷論争がなされ、最終的には会社の懲戒解雇は適正であると判断され、会社の勝利に終わりました。

 私の吐が据わるようになったのは、責任者として組合との困難な交渉を積み重ねてきた賜物であると思っております。

 丁度私が四十歳の頃も、父である社長から厳しく鍛えられました。その一例を申し上げれば、会社の設備投資の問題、労働組合との賃上げの問題、一時金(賞与)の問題等について、社長に相談に伺っても、何ひとつ具体的な指示がありません。そこである時社長に「何故私の相談について、返事がいただけないのですか」と尋ねてみました。その時の社長の答えは、「ああしろ、こうしろと色々具体的に指示をすれば、お前は言われた通り動くだろう、そうすればお前は一『ロボット』にすぎないではないか。自分で中身を十分検討し、これで良いと思えば実行すればよい。それが将来尊い経験となり又自信ともなり、仕事にも的確な判断ができるようになる」でありました。この一言葉に私自身もその後は大いに発奮し、進んで何事にもチャレンジすることに努力いたしました。

 また父からは「人間は従う人から創造性豊かな人となれ」と常に聞かされ、「従う人間ばかりであれば、会社は駄目になる」とも明言され、私は今もその言葉を大切にしております。

 以上の経験から、私は何事も楽しく、好んで、信じて、そして素直な心で実行させて頂くことが大切であり、常に頭を使うことが活性化に繋がると確信しています。また人はよき師を持つことが肝要であります。私にとっての「師」とはまさに父親であったと確信しています。師の教えに沿ってよく学び、努力し、全てのことに感謝することが精神面の安定に繋がり、使命感が身についてくるのであります。

 最後に、私の企業経営の理念は「道徳と経済の一体」であります。また社内での社員の行動目標は、康池千九郎博士の格言にある「迅速、確実、典雅、安全」であります。この言葉はまさに今日の経済状況にマッチした格言であります。即ち何事にも迅速に、そして確実に処理することが第一条件であり、又典雅、安全は社会から信用を高め、そして物事を成就させる方法であり、事業を永続させる大事な要素であると教えていただいております。

 私は、この駆け出し時代の経験から、人生においていかに日々の心づかいのあり方が大切かを今、身をもって痛感している次第であります。

1984 - 2019 Copyright © コミニケ出版 All Rights Reserved.