中村 隆俊

商道は人間道である

 数え年七十一歳、本年十一月をもって満七十歳を重ねる私であります。「六十、七十鼻たれ小僧……」の身ですから、今もなお「駆け出し時代」です。「初心忘るべからず」とは、芸道で申せば、習い始めの頃の初心を忘れるなと言うことだけではなく、その後の節目にて平たく言えば初級、中級、上級の節目の初心を説いた心構えと学びました。

 私は「旬」という言葉が好きです。「人間としての『旬』はいつか?」私は、「十代には十代の『旬』」あり、「六十代には六十代の『旬』」ありと心得てその「旬』ごとに「初心忘るべからず」を大切にしています。

 また、三十三歳の時、「よせい」は、「余生」ではなく「与生」すなわち、わが命は余ったものではなく、誰からかは知らないけれど与えられたものと受け止めて、今日まで生かされて来ているわが人生は、正に、頂上のない山登りなのであります。

 ところで、ここでは「社会人(会社人であったかもしれません)」になった頃の「私の駆け出し時代」を少し記します。

 松下幸之助の会社で働きたいとの熱い思いが叶えられての入社三年目(二十四歳)営業の第一線に出ることを命じられ、四園地区を担当することになりました。

 電池並びに電池応用品の生産事業部の営業でした。それまでは、営業所相手の商売でしたが、松下電器の営業体制が変更され、生産事業部が直接に、販売会社・販売庖様と商売する直取りとなった時点の担当でした。

 十分な引き継ぎや指導もないまま、売上予算だけはついた営業でした。要するに「売れなきゃ帰ってくるな」くらいの指示でした。

 しかし、お陰様で就任以来一年間は、毎月予算達成の成果があったのです。

 先人達の遺産や販売会社・販売庖様のお陰さまに気づかず、天狗になっていっておりました。小学生の頃、学校から帰ると叔父の乾物屈で小僧をやっていた経験(お客様の目を見ると冷やかしか本当のお客様か判るコツが知らない聞に身についていました)が生きていると、思い上がるようにもなっていってました。正に、「買ってもらっている」という気持ちを忘れ「売ってる」と錯覚していたのです。

 そうすると予算達成が困難になってきました。天狗の鼻は見事に折れたのです。そこで、自分の営業力を試してみようと考えました。

 常宿の女将さんに、財布、名刺、社章を預かって頂き、一個六十円の『ハイトップ乾電池』二十個入り化粧箱を持って、国鉄高松駅前に立ちました。道行く人に売ってみて、自分の営業力を試してみようとしたのです。心の中では善悪の中村が戦います。「そんなことして何になる。それ位なら十分か十五分で完売だ」と悪い中村が言う。「たとえそうであっても意味がある」と善き中村が反論。結果は、三時間で四十四人の人にぶつかったが、一個の乾電池も売れませんでした。今までの商売は、松下電器の金看板または、中村乾物庖の木や紙の看板でもあったからこそ私を信用頂いた結果。それに気づき始めた頃、四十五人目の方が先方から近づいてこられ「何をしているのか?自分は、あのベンチで君を見ていた。商売してるようだが、一向に売れてるようには見えない。しかし、君は深々とお辞儀をしていたね」と言って頂いたのです。

 私は、藁をも掴む思いで事の次第を話しました。するとその方は「わしも商売をしているが、君のお辞儀が気に入った。全部売ってくれ」と全部買って頂いたのです。

 先輩や上司の方に「中村!電池を売る前に、お前を売れ」と教えられていました。私を信頼信用して頂くのは、笑顔やお辞備や態度というお金のかからぬ大切なものだと知り、磨く人間道でなく、上手に話せば良いと誤解していたのです。

 十年間毎年の転職希望が叶い、定年前の七年余、営業研修所を任せられた時、合宿研修の中に、本体験を活かしました。社内外四千人以上の人に、街に出かけさせ、三時間で乾電池を売る「商人道気づき体験研修」を実施しました。一個でも売ってきた人は、全体の七割。全員「売って来ます」と出かけます。そして売ってきた人は、帰社後「売って来ました」でなく「買って頂きました」と感謝を心から表します。この気づきは、座学では気づけません。実学こその気づきです。

 この感謝に商い(商道)の原点がある。そしてまた、人間としての成長(人間道) 探究の原点があると信じます。

 「商道なき商術は罪悪である。そして商術なき商道は戯言である」と信じて、「商道は人間道」を探究し続けています。

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