中村 修一

出会いと感謝

社会人のスタートは 就職と養子縁組が同時に進行

 私はこれまで生かされてきて、何か大きな、目に見えない力が、そっとサポートしてくれているような、そんなエネルギーを感じて仕方がありません。大きな人生への節目である社会人としてのス
タートの際にも、人との出会いやご縁がありました。

 私の父親が繊維卸商社を昭和九年から経営いたしており、その取り引き先の紡績会社に、父親の紹介で入社させていただきました。と同時に、母親の弟(叔父)に子どもがいないので養子に行くことを、親戚一同の勧めにより決めました。

 入社して三年目に紡績会社の営業部で、株式会社ダスキンの玄関マットや綿布の糸の生産管理をしておりました。

 その当時、株式会社ダスキンがファストフード事業として、日本で全国フランチャイズを展開するために、第一回ミスタードーナツ事業勉強会を昭和四十五年十月七日から十月九日まで開催することになり、会社から参加させていただきました。当時のセミナーとしては高額で、十万円ほどだったと記憶しています。

ダスキン創業者 鈴木清一社長との出会い

 ダスキン創業者の鈴木清一社長は、セミナーで開口一番、こんなことをおっしゃいました。

 「このミスタードーナツ事業は、金もうけが目的の人は期待外れですから、どうぞ今すぐお帰りください」

 その言葉に、私は非常に驚樗いたしました。

 それから、祈りの経営理念の説明をしていただき、「生まれ変われるチャンス」「喜びのタネまきをすること」の言葉と具現実行への思いが、私の道心(童心)に感動と感化をもたらしました。

 またフランチャイズについて、本部と加盟店は運命共同体であること、自分の持っている力も汗も親切も、すべてほかの人の喜びのために出し切ることを教えていただきました。そのことが、今の私の経営の基本になっています。

 その後、私の担当は変わり、転勤して、結婚。東京営業所に配属され、順調にサラリーマン生活を送っていたところ、ある日突然、父親から「ドーナツ、やらんか」と相談を受けました。

 もともと、父親の会社は株式会社ダスキンの生産協力工場だったこともあり、合弁会社をつくり、昭和四十八年には姉婿が運営責任者として、ミスタードーナツを三庖経営しておりました。

 しかし、姉の離婚により、父親の会社と合弁会社の両方の会社から、私のもとに運営責任者にならないかという、白羽の矢が飛んできました。

サラリーマンから ミスタードーナツマンへの大変身

 私は二十九歳のとき、会社を退職し、ミスタードーナツへ転職しました。

 そのとき父親から、道徳の教えとして

 一、親孝行は百行の本
 二、原因と結果の法則
 三、道経一体の経営

をいただいたことが、転職の決断を促してくれました。

 その後、ミスタードーナツカレッジで四十五日間の研修を受け、ドーナツマンとして、ドーナツゃつくりから庖舗運営管理まで真剣に学びました。その中には、一燈園研修もありました。この研修では、六方行願(一家一家便所掃除をさせていただく体験)や路頭(現金を持たずに町へ出かけ、人のお役立て、お手伝いをさせていただく体験)などを行いました。

 鈴木清一社長の師であり、一燈園創始者の西国天香(にしだてんこう)さんの言葉、『物集まざれば恥なり、集まりて自分の物にするも恥なり、無一物中無尽蔵』が、今でも心に残っています。

 ミスタードーナツカレッジでの研修は、仕事を通じて人聞をつくる道場であり、事業経営における『まず精神を造り次に形式を造る』を実践していました。このことが、繁栄し続けるミスタードーナツの基礎にあるのです。

 私が、ここまで成長させていただいたのは、人との出会い、仕事との出合い、言葉との出合いにあります。愛され、育てられ、守られ、生かされてきたことへ、感謝し、道経一体の具現実行へ、一歩一歩前進していきます。

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