中原 英臣

駆け出しの不満が新・進化論へ

学生から社会人へ

 私が「進化論(今では「ウイルス進化論」と呼ばれている)」を思いついたのは、大学を卒業した1971年、まさに駆け出し時代がスタートした年でした。友人のほとんどが22歳で就職する中、私は1年間の浪人生活に加え、医学部で6年を過ごしたため、彼らより3年遅れて社会人になりました。

 私が一生の仕事として選んだのは、患者さんを相手にする「臨床医学」ではなく、ウイルスや細菌を相手にする「微生物学」の分野。就職先が母校だったこともあり、当初は社会人になった実感がわかず、新鮮な気分になれませんでした。

 しかし、学生時代は優しかった教授の態度が一変。すぐに、授業料を払う学生と、給料をもらう社会人との違いを痛感させられることになったのです。

雑用に追われる毎日

 当時の医学部といえば、封建時代の名残りともいうべき「医局制度」があり、その絶対君主である教授が、すべてを支配する世界。私の毎日の仕事といえば、学生実習の準備や、実験用のマウスに餌を与えるといった、およそ研究とは無関係な雑用ばかり。先輩が実験する日には、研究室の入口に「今日の指示」というメモが貼ってあり、準備と手伝いに明け暮れました。

 このようにして、1年はあっという間に過ぎていきました。当時の楽しみといえば、ウイルスや生物に関する本を読むことぐらい。あるとき私は、『私の進化論』(著者・今西錦司、発行・新思索社)、『新ウイルス物語―日本人の起源を探る』(著者・日沼頼夫、発行・中央公論社)という2冊の素晴らしい本に出合い、大いに影響を受けます。

 同じころ教授のサポートで、ある実験を行いました。それは細菌に感染するウイルスを使って、ある細菌の遺伝子を別の細菌に運ばせる、という実験でした。このときは試験管の中だけでしたが、実際の自然界では、もっと多くのウイルスが遺伝子を運んでいるのではないか。私はそう考えました。

 2冊の本と、この実験がきっかけで、私は「ウイルスが生物の進化に関わっている」という「進化論」の考えにたどり着くことができたのです。

ウイルス進化論は欲求不満から誕生

 ダーウィンをはじめ、すべての進化論は「遺伝子は親から子にしか伝わらない」という先入観に支配されていることで、多くの矛盾を抱えています。進化は遺伝子が変化することで起きますが、遺伝子が「親から子」だけでなく「個体から個体」に伝わると考えれば、多くの矛盾は解決するのです。

 人間が飛行機や新幹線で移動するように、遺伝子も乗り物さえあれば移動できるはず。その乗り物がウイルスであると、私は考えています。ウイルスによる移動を認めれば、あとは簡単です。感染により運び込まれた新たな遺伝子が、ある生物の中の遺伝子を変化させ、それが進化の引き金となるのです。わかりやすく言えば、進化とは『ウイルスによる伝染病』なのです。この考えは、今では「ウイルス進化論」と呼ばれています。

 遺伝学の祖、グレゴール・ヨハン・メンデルが1865年に発見した「遺伝の法則」は、その35年後に3人の研究者たちによって再発見されました。

 実験も満足にできなかった駆け出しだった1971年、私の欲求不満から誕生した「ウイルス進化論」。2011年に英国の生物学者であるフランク・ライアンにより、これと同じ考えが発表されました。メンデルの再発見にかかった35年を超え、40年ぶりの再発見となったわけです。

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