ジョン・海山・ネプチューン

挑戦の喜びを可能性に

サーファーが尺八と出合う

 父がトロンボーンのアマチュア奏者で、子どものころからジャズやオーケストラを聴いて育ちました。中学生からトランペットを吹いていましたが、高校生になってサーフィンに熱中するようになると、次第に楽器から遠ざかりました。

 私はサーフィンにのめり込み、ハワイ大学に進学しました。すると、そこには今まで見たことがない、さまざまな東洋の文化がありました。もともと音楽の基礎があった私は、自然に東洋の楽器に惹かれていきました。

 当時、金髪のサーファーだった私を、ハワイ本願寺の住職が尺八の弟子にしてくれました。それがきっかけで、私は尺八に熱中するようになりました。

 しかしそのときは、それが職業になるとは、夢にも思いませんでした。

楽器を通じて日本を知る

 1973年、アジアに住んでみたいという夢を実現し、京都に短期留学します。貧乏な学生で、アパートには風呂もありません。銭湯に驚き、こたつでカップ麺をすする生活。すべてが初めてで、周囲とぶつかることもありました。そこで私は、「地元の人とのコミュニケーションに、楽器が使えないか」と考えるようになりました。

 初めて尺八教室を訪れた日、勢いよくドアを開けると、一斉にほかのお弟子さんたちの注目を浴びました。私が外国人だからではありません。まず、部屋に入る前に、一礼しなければならなかったのです。私はハワイで習った尺八の腕前を早く見せたくて仕方がなかった。だから「技術」の前に「礼儀」を重んじる日本の考え方は、まさにカルチャーショックでした。

 日本には「間」という考え方があります。たとえば「床の間」は、アメリカ人から見れば本棚にぴったりだと思って、つい埋めたくなる。でも日本人はそんなことはしません。尺八も同じで、手の指は10本あるのに、指穴は5つしかない。5音階しかないことで、どこかに音の「間」が生じます。楽しい音楽を奏でる「楽器」ではなく、演奏する人が瞑想するための「道具」である尺八に、私はますます熱中しました。

 ハワイに戻り大学を卒業したあと、すぐにまた京都に帰り、数年間の修行を経て、都山流師範の免許を取ります。私はついに日本で、プロのアーティストとしての活動をスタートさせたのです。

尺八に導かれて、今、ここに

 東京に移り、尺八教室や演奏会で全国をまわるうち、世界の音楽を通じて、尺八の新たな表現に挑戦したいと思いはじめました。曲を作り、自ら尺八作りにも携わるようになりました。山に入って竹を切り出し、漆も塗りましたが、失敗の連続でした。そして、初めて満足のいく尺八を作り上げたときの感動は、今でも忘れられません。

今はプロ活動のかたわら、竹の太鼓作りに熱中しています。竹打(たけだ)と名づけた私のオリジナル楽器です。

新しいことにチャレンジするたびに、新しい喜びや発見があります。カリフォルニアのサーファーだった私が、今では日本の伝統楽器で生活できるようになった。もしかしたら最初の目的とは違う方向かもしれない。私は尺八に導かれるように、作曲家、楽器作家となっていったのかもしれない……。

私は1つのことに熱中することで、人生は新しい答えへと導かれると、信じています。

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