日本を代表する国際人 新渡戸稲造 (1862~1933年)

 新渡戸稲造は、今から二十年前の一九八四年から使用されている五千円札の顔として親しまれています。一八六二年岩手県盛岡で生まれ、一九三三年カナダのビクトリア市で亡くなっています。明治から昭和の初めにかけて活躍した思想家、農政学者、教育学者です。西洋の文明を日本へ、日本の文化を西洋へという、新渡戸の思いを表した「われ太平洋橋の橋とならん」の言葉は有名です。国際人という言葉が現在もてはやされていますが、新渡戸が日本を代表する初めての国際人という位置づけをする人は多いでしょう。

 青年時代に抱いた太平洋の橋になるという希望を実践、その生涯を国際平和のために捧げました。札幌農学校在学中、「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士に心酔し、内村鑑三らとともにキリスト者になっています。

 新渡戸家は東北十和田地方の開拓に貢献した家柄です。荒れ野だったこの地帯を三代かけて水路を開き、穀倉地帯に生まれ変わらせました。新渡戸といえば『武士道』を思い浮かべます。第一章に「武士道は今なお、私たちの心の中にあって力と美を兼ね備えた生きた対象である。それは手に触れる姿や形はもたないが、道徳的雰囲気の薫りを放ち、今も私たちをひきつけてやまない存在であることを十分に気づかせてくれる」( 奈良本辰也訳) とあり、武士道を道徳体系として位置づけています。原文にも「封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、今なお我々の道徳の道を照らしている」として、自分自身の道徳の根底になっている武士道を再認識しています。

 新渡戸は南部藩士新渡戸十次郎の三男で、武士の家に生まれ、育ちました。武士としての生き方をとおして幼年から少年の時代を送っています。一生涯はなれることがないものに「武士としての生き方」があったと想像できます。この『武士道』の英文『BUSHIDO THE SOUL of JAPAN』の初版が出版されたのが、一九〇〇年、明治三十三年のこと、新渡戸が三十八歳のころです。日本を世界に紹介した代表的な著作です。

 新渡戸は卓越した語学力と豊富な海外生活を生かして、国際間の橋渡しをつとめました。第一回日米交換教授として渡米、国際連盟事務次長、太平洋問題調査会日本側理事長など国際的に活躍しています。アメリカ留学中には、アメリカ人のメリ-・エルキンソンと出会い、結婚しています。また東京の「ニトベハウス」には数多くの来客がありました。スイスの「レザマンドリエ」の邸宅には、世界中の外交官や学者が訪れ、そのなかの一人にアインシュタイン博士もいました。新渡戸が亡くなって七十年たつ今でも、世界に知られる代表的な日本人の一人といえるでしょう。

 大きな活躍をした新渡戸稲造がお札に登場するまで、一般に知られていなかったのは不思議なことです。明治、大正、昭和の激動期に、国際人として、教育家として、堂々と生き抜いた新渡戸稲造を、今、再評価するときに来ています。

【新渡戸稲造 にとべいなぞう】 文久二~昭和八年 一八六二~一九三三年
一高校長時代( 明治三九年~大正二年) のとき学生に深い人格的影響を与え、大正期には東京女子大学の初代学長となっている。東大にも学び、英文学、理財学、統計学を専攻し、ボン、ベルリン、ハレの諸大学で農政学、農業経済学などを学んでいるユクエーカー教徒として、国際平和を主張しつづけ、『友徒の特色』を著し、国際紛争を平和的仲裁によって解決すべきであると説いた。反軍事的発言は官憲の圧迫を受けた。『武士道』のほか、『農業本論』『修養』の著書がある。

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