松崎 俊道

今でも駆け出し中

 私の駆け出し時代、というお題は、まず昔話から入るのが普通だろう。しかし私は、比較的最近の出来事からお話ししたい。なぜなら、こうして経営コンサルタントとして生活をさせていただいているが、「今も駆け出し中」という初心を忘れたくないからである。

揺さぶられて決意した

 10年ほど前、私は2人の経営者と酒を酌み交わしていた。

 1人はドトールコーヒーの創業者の鳥羽博道さん。もう1人はワタミ創業者の渡遺美樹さん。2人とも私の知己である。また2人とも、立志伝中の人物で、ジヤパニlズ・ドリームを実現した人として有名だ。

 飲み交わしつつも、実は私の心中は、根本から揺さぶられているような思いでいっぱいであった。「自分の本物とは何か?」を心の中で自問自答していたのだ。

 当時、ドトールコーヒーはすでに一部上場を果たし、ワタミはその直前ではなかったか。この両者を引き合わせたのは私であったが、私は、2人の経営の話題の中に入っていけなかったのだ。そう、1入寂しい思いをしていたのである。

 2人とも大きな組織のリーダーだ。かたやコーヒー業界に、かたや居酒屋業界に革命を起こした。そんな誇りもある。それに比べて、この俺は何だ?ふがいない自分に幻滅して、その晩は眠れな
かった。私が専門家として、この2人に提供できるものは何であろうか?自信と誇りを持ってコンサルティングでさることはあるのだろうか?

 実は、このときの苦しい精神状況から、仏教を修行しよう!と決意したのである。日本の経済界を救う立場にあるのが彼らであるならば、よし俺は人々の魂を救済しよう!まあ、大げさに言うと、そんな感じ。その後すぐに、伝統仏教を本格的に勉強できる教団にも所属した。今では私は、この強烈な個性の持ち主の2人に、心から感謝している。自分が書くもの、語ることすべてに、仏教の深くて広大な世界観の恩恵を享受しているのだから。

 私はこれまで20冊を超える本を書いてきたが、これからが本当にいいものが書ける!と確信している。これも、この2人に心を揺さぶられた体験あってのことなのだ。

無謀な挑戦ができた

私は28の年に、現在の船井総合研究所に入社した。その後の8年間、船井幸雄という人のもとで働けたことは、今でも感謝している。というのは、厳しいながらに、のびのびといろんなことにチャレンジできる環境であったからだ。

 私のいくつか試みた挑戦の中で、国連での講演会は、ビッグであった。今でも、よくあんな無謀なことを!と冷や汗交じりで思い出す。

 私の大学の後輩が、ニューヨーク国連本部の総務の仕事をしていた。「松崎さん、日本的経営について、職員に伺か話をしてもらえませんか?」と。ただし、交通費もなし、講演料もなし、と言う。完全にボランティアの世界である。だから船井総研時代の挑戦といっても、仕事を離れた個人レベルの自己啓発の一環だ。しかも英語で、と言う。まあ、これも勉強とOKしたのはいいけれど、引き受けてからが大変だった。原稿作り、スライドの用意、米人講師についてスピーチの猛練習。数カ月前から準備した。

 当日、国連本部のホールに40人から50人くらいの職員が集まったであろうか? 参集した人の国籍はまちまちである。大緊張して講演会は始まった。今でも日に焼き付いているが、話をしていたら、1人、(オモシロくねぇ~)という態度が見え見えで途中退席した。背中から冷たい汗が落ちてくる。1時間ほどのスピーチの後は質疑応答だ。さすがにこれは、自分では無理なので、英語の権能な大学の後輩の力を借りた。

 今でも、この挑戦が、国連に働く人たちの役に立ったのかどうかはわからない。でも少なくとも、チャレンジできたあ!という事実は、その後の仕事や人生にプラスに作用した、と言えると思う。

 国連での挑戦は、その年の年末の社員総会で表彰された。でも、売上利益に何ら貢献することのなかった挑戦だけに、気恥ずかしい気分だった。

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